レリコと一澤帆布の関係は今から20数年前。まだ今の本社が出来てなく暗くてごちゃごちゃしたお店でした
私は、お得意先の神社様から、子供が行列できる水干の注文を受けました。
梅雨時の、雨の確率の高い時期のお祭でしたので、ドシャ降りでも耐えられる素材で作って欲しいとの希望も付け加えられました。
さて、童水干に向いた素材で、雨に耐えることが出来る・・・・難しい・・・・そこでふと思いついたのが、ナイロン製のテント生地。
一澤さんでは当時登山用品等も作っておられたようなので、とりあえず訪ねて見ました。
最初に出てこられたのが、一澤喜久夫さんでした。
丸橋・・・・・・・・「テントに使う生地をわけていただけませんか」
喜久夫氏・・・・「なんに使うのですか」
カバン、テント屋さんで水干と言ってもわかるかなと思いながら。
丸橋・・・・・・・・「水干を作るんです」
喜久夫氏・・・・「ちょっと待ってください」
お父さんの信夫さんをつれてきて、「この方水干を作るそうやて・・・」
お父さん・・・「水干てどんなんを作るのや」
丸橋・・・・・・「子供さんがお祭の行列で着るのですが、雨が多いのでテントの生地で作りたいのです。ナイロン製なら透明感もあって生絹みたいで、なおかつ雨に耐えられるので」
お父さんと喜久夫氏に・・・「首上は、紐の括りかたは、菊綴じは・・・・」など矢継ぎ早に質問をされました。
丸橋・・・・・・「首上はまだ考えてませんが、紐は色落ちしないよう白で、菊綴じは無を考えてます。」
その後もお父さんと、喜久夫さんに、有職の見地から見ればおかしいとか山盛り突っ込まれ(私はいじめられたと今も思っているのですが)
お祭の事情も有り、そこまで有職にこだわって作ることは出来ないことを説明して生地を手にすることが出来るまで1時間以上かかりました。
お二人は、有職に非常に見識の高い方々だったのでした。
出来上がった水干は余りにも丈夫なものが出来たので、今も使用に耐えている次第です。
以上が私丸橋と一澤帆布さんの出会いです。
以後今日までいろいろと続きますが、少しづつ書いてまいりますのでまたこちらにお越し下さい。
一澤さん親子(信夫さんと喜久夫さん)有職研究家ではありませんが一ファンとして非常に高度な知識を持っておられ、
特に、武家については大変多くの風俗遺物を収集しておられるのには驚きました。
それは、個人としては、鈴木敬三先生(研究と同時に、収集、復元もされておられました)に次ぐコレレクションと思って居ります。
武家ものではありませんが、以前トップに貼りました平やなぐいは一澤喜久夫さんにコレクションの一品でした。